ヒストリーカフェ その1

ヒストリーカフェ その1を投稿します。

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「歴史は2度繰り返す、1度目は悲劇、2度目は茶番」

 

「歴史は2度繰り返す」とヘーゲルは言った。「1度目は悲劇、2度目は茶番」とマルクスは付け加えた。ヘーゲルは人類史上重大な出来事は2度経験しないと、本当の教訓にはならないという意味で言ったらしい。一方マルクスは、1度目の悲劇を教訓として学ばないから2度目は茶番として起こると言ったのであろう。どちらも秀逸な歴史哲学といえる。

 

かつて吉本隆明は「歴史は打率三割がいいところ」と言った。教科書で習う歴史は三割が真実であって、七割は間違えか作り話か嘘ということになる。時代を遡れば遡るほど真実の割合が下がっていく。私たちが信じて疑わなかった足利尊氏の肖像画は別人であった。聖徳太子は実在していたかどうか疑わしい。書かれた歴史は、権力者の歴史であって、その根拠は神話と権力者の意向に基づくものである。常に真実かどうか疑いながら、あるいは時の権力者がどういう意図で歴史を書いたかを考察しながら、歴史を捉える歴史哲学が必要である。

 

サザンオールスターズの歌「ピースとハイライト」の歌詞に「教科書は現代史をやる前に時間切れ、そこが一番知りたいのに〜なんでそうなちゃうの〜 都合のいい大義名分で争いを仕掛けて裸の王様が牛耳る世は〜狂気 二十世紀で懲りたはずでしょう?」というのがある。教師も子供のころ現代史を教わっていないので、生徒に教えることもできない。我々は現代史をほとんど知らないのだ。戦前は皇国史観、戦後は白人史観で教えられ、現代史は教えられていない。現代史を知らないから、戦争の歴史、独裁的権力の歴史から教訓を学びとることができないのだ。

 

わずか百数十年前の明治維新についても、真実がどこにあるのか疑わしい。司馬遼太郎の小説、すなわち司馬史観を信じている人も多い。明治維新から日露戦争までは正しかったが、それ以降太平洋戦争敗戦までは道を誤ったというものである。司馬史観のように明治維新に肯定的な評価が主流であったが、最近は否定的に捉え直す意見も多い。道を誤ったことはすでに明治維新の中に仕組まれていたのではないか。例えば坂本龍馬、英雄視されているが本当にそうなのか?別の視点から見れば違った姿が見えてくる。この時代の欧米を見れば、アメリカ南北戦争終結により大量の武器が余っていた。これをどこかに売りさばきたい。幕末期の日本の政治的混乱を利用して売りつけようとした。ここで暗躍したのはグラバー商会であり、その手先である坂本龍馬であった。グラバー商会とは、清国でアヘンや武器の密貿易を主導したマセソン商会の日本の出先機関であった。その大元はロスチャイルド財閥である。坂本龍馬は真剣に日本の行く末を案じていたのであろうが、欧米の武器商人「死の商人」の手先であったという面もある。

 

薩摩、長州の攘夷派はともにイギリスに無謀な戦争を仕掛けるのであるが、結果として多額の賠償金を請求される羽目になった。以降イギリスと関係を深め、むしろその手下となった。長州は賠償金を支払えないと居直り、幕府が肩代わりして支払う。イギリスはこのお金を長州に融資し、大量の武器を買わせた。イギリスはどこよりも薩長を支援し、倒幕というクーデターに走らせた。露骨な植民地支配は免れたが、明治政府はイギリスの傀儡政権であった。日露戦争にも多額の融資をして、なんとその負債の返済は1980年代まで続いていたのだ。

 

日露戦争の勝利でいい気になった日本は、欧米列強と肩を並べるべく帝国主義的侵略に突き進んだ。欧米列強は日本たたきに出た。太平洋戦争に誘導され、無残な敗戦を喫し、アメリカに占領された。サンフランシスコ講和条約により形式上は主権を取り戻したが、その内実を見るとアメリカの植民地である。沖縄は事実上占領されたまま、首都圏を囲むように横須賀、厚木、横田の米軍基地が存在し、六本木には米軍へリポートがあり各基地と自由に往来ができ、アメリカ大使館と直結している。日米安保条約、日米地位協定を見れば未だにアメリカの植民地であることがわかる。

 

明治政府はイギリスの、戦後日本政府はアメリカの傀儡政権であることを見れば、明治維新以降日本は欧米列強、欧米の巨大資本に支配され続けている。傀儡という生易しい言葉ではなく、奴隷に近いのではないか。日本は国家自体がアメリカの支配下にあり、その国の独裁的政権が国民を支配している。この国の国民は二重の意味で惨めな支配下にある。

ゲーテの言葉「自分が自由だと勘違いしている者ほど、絶望的な奴隷はいない。」

 

現政権の悪行を見ていると、過去の腐敗した独裁政権がやってきたことそのものである。別に珍しいものではない。すなわち、権力の濫用、横暴、私物化、そのための嘘、隠蔽、改竄、情報統制、思想統制、言論統制、監視、野放しにしておけば政権批判者について密告奨励、弾圧、逮捕、虐殺へと進んでいく。そして国家、社会はどんどん悲惨なものになっていく。まさにジョージ・オーウェルの小説「1984年」が現実として進行していることに恐怖を感じる。既視感(デジャブ)であり、歴史は繰り返しているのである。問題は我々国民にある。このような権力を事実上黙認している。事の重大さを認識できていない。歴史から何も学んでいないということだ。

 

小説「1984年」、独裁党のスローガン

戦争は平和である

屈従は自由である

無知は力である

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