政治に関心がない人たちへ

      

 

一、  政治への無関心が現政権を支える

政治や社会の動きに全く無関心な人たちがいる。こういう人たちの中には、明確な意思を持って、あえて政治と距離を取り、社会の動きを達観している人たちもいるが、それほど多くはないと思われる。多くはただ単に無関心である。

大雑把な話であるが、国政選挙の投票率と世論調査を参考にすれば、政治に関心がない人たちは有権者の三十%〜六十%はいると思われる。

現政権のコアな支持層は二十%、現政権批判層(野党も含む)が十%、残り十%〜四十%は、政治に全く無関心ではないが、それほど強い意思はなく、どこにでも振れる可能性がある層だと考えられる。

政治に関心がないということは、結果的に現政権を支持することになり、現政権を支えている。

二十%のコアな支持層があれば、権力を握ることができる仕組みになっているということだ。

森喜朗(元首相)はかつて名言(迷言)を吐いている。「選挙で多くの人が寝ててくれればいい。」

無関心が現政権をささえているのだ。権力者自らそれを吐露している。

権力者にとって国民は、「寄らしむべし、知らしむべからず」の存在であることが望ましいのだ。

国民には多くのことを知らせず、政治に無関心で、お上には黙って寄り添ってくれればいい。

「政治なんて誰がやっても同じ」と考えている人も多い。

これは日本には優れた政治家がほとんどいなかったから、優れた政治家というものを知らないだけである。というより、一応民主主義国家を標榜している限り、日本人は優れた政治家を育てることができなかったことを意味する。

「国民は自分たちのレベル以上の政府を持つことはできない」という格言がある。政治家のレベルを見れば、その国の国民のレベルがわかるということだ。

 

二、政治の無能無策が国民を苦しめる

 

人々は自分の生活が困窮して初めて、政治の無能無策を知る。「飢えなければ、人は立ち上らない」ともいわれる。このコロナ禍において、それを思い知った人も多いのではないか。

政治に無関心でいると、戦争も、公害も、原発事故も、コロナ禍もわが身に降りかった災厄を不可抗力の自然災害と同じものだと勘違いしてしまう。関東大震災と東京大空襲も同列の災厄であるとみなしてしまう。

しかし天災と人災は明確に違う。

天災後の対応のまずさがあれば、それも人災である。人災の多くは政治に起因していると知るべきである。自己責任の問題ではないのである。

地震、津波は天災である。しかし、原発事故は人災である。その後の被災者の困窮も人災である。

新型コロナウイルスなど感染症の発生も不可抗力であるが、その後の対策の失敗は人災である。コロナ禍は明らかな人災である。日本のコロナ対策は大失敗である。

検査、隔離、専門病院の整備という感染症対策の基本を無視した。政府に雇われている御用学者、感染研の感染症専門家と称する人たちと、厚労省の医系技官がA級戦犯である。

自らの利権を守るため、何だかんだ屁理屈を付けて、PCR検査を保健所経由にすることで、囲い込み、絞りに絞った。クラスター対策のみに拘った。キャパシティーがないから検査は増えない。

大規模検査が増えなければ、全体像が掴めない。有効な対策も立てられない。PCR検査を大学や民間検査機関に拡大すれば、自分たちの無能さを曝け出され、存在意義がなくなるからだ。そのため日本のコロナ対策は惨憺たる状況だ。

こんな大失敗をしたにもかかわらず、自称専門家は失敗を認めず、未だに居座り続けている。アベ・スガ政権は、こんな旧態依然たる利権構造を放置し、問題点を探る知恵も意欲なければ、メスを入れる能力もない。

政治の無能無策のおかげで、一年半にもわたって、どれほど我々が苦しんできたことか。そして今だに出口が見えない。

九年近く続いているアベ・スガ政権は、口にするのも汚らわしいくらいひどいものである。腐敗堕落の極みである。どんなにひどい政権であろうと、一度権力を渡すとそう簡単に引きずり下ろすことはできない。

 

三.国民は「生殺与奪」の権を握られている

 

 我々が普通に生活している限り、政治権力というものを感じることは少ない。しかし、政治権力というものは、我々が想像する以上に強大なものである。国民は「生殺与奪」の全てを握られているといっても過言ではない。

政治運動、学生運動、市民運動、平和運動、住民運動、環境運動、冤罪被害者救援など、何らかの政治的社会的運動にかかわったことがある人ならわかるとは思うが、国家権力の怖さ、強大さ、理不尽さに絶望感を抱いた人も多いだろう。まず理屈が通らない、「お上に逆らう奴は許さない」「暴力で潰す」という強烈な意志を感じる。

ある政治家が「自衛隊」を「暴力装置」と呼んで、猛烈な非難を浴びたことがある。

しかし「暴力装置」という言葉は、れっきとした社会科学の学術用語である。暴力装置とは、国家権力によって組織化され、制度化された暴力の様態を意味する社会学用語である。

軍隊(自衛隊)や警察は、国家権力が持つ、唯一合法的な「暴力装置」である。

 

栗栖弘臣 元統合幕僚会議議長がこんな発言をしている。

(二〇〇〇年)

『自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。政治家やマスコミも往々この言葉を使う。しかし国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は国の独立と平和を守るのである。警察法と自衛隊法に書いてある。「国」とは、わが国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇制を中心とする一体感を享受する民族、家族意識である。決して個々の国民を意味しない。』

 

自衛隊は自然災害時に「災害救助隊」の意味で活動し、国民を守ったり、救ったりすることもあるので、国民を守るものだと勘違いしている人も多いが、それは自衛隊の本来の任務ではない、と言っている。

(栗栖が言っている国柄とは、たかだか八十年ほどの明治維新から太平洋戦争敗戦までの異常な価値観を意味しているに過ぎない。)。

では警察は国民を守るのか?「時の権力に従順な民」という意味においてのみ、国民を守ることもある。あるいは自分たちの都合のいい時のみ国民を守る。例えば、ストーカー被害者などは、いくら警察に相談しても、殺されてしまうこともある。

 面倒だから真剣に取り組まないのである。米軍基地、米軍兵士がらみの犯罪などからも国民を守ってくれない。まして冤罪事件など、無実の人間が警察の暴力によって、殺されてしまうのだ。

様々な政治的社会的運動が「反政府的」であれば、この「暴力装置」は容赦なく銃口を国民に向ける。この「暴力装置」は国民を支配するために使われる。それは歴史を紐解けば明らかである。

オウム真理教事件の原点である「坂本弁護士一家殺人事件」の時、状況証拠からオウム教団の犯行であることは明らかであったが、警察は全く動かなかった。行方不明の一家を探すために、坂本弁護士の親族が警察に相談に行った。 

警察は「坂本弁護士は、今までさんざん警察を批判してきたのに、こんな時に警察に助けを求めに来るのか?」と言い放った。ふざけた話である。

なぜなら、まず警察は強大な権力と全国的組織を持ち、国民は何の力も持っていない。全国民から集めた税金で運営されている。全国民を守る義務がある。警察が間違ったこと、理不尽なことがあれば国民には批判する権利がある。

国民がどんなに批判しても、警察権力はびくともしない。それくらい力の違いがある。強大な権力を持つものは謙虚であってしかるべきである。国民が警察を批判するのは、理不尽なことがあるからである。警察はこうあってほしいというささやかな願いに過ぎない。

しかし実態は、「お上にたてつく奴は許さない」という態度である。

 

四.自分を守るために政治権力の暴走を許してはならない

 

政治権力によって、国民は「生殺与奪」のすべてを握られている。政治権力は強力な「暴力装置」を保有している。それは国民を支配することに行使される。

政治に無関心ということは、極論すれば、自分自身の生活と生命の行方に無関心であり、自分自身を大切にしていないということである。自分自身を愛していないともいえる。自分を愛せないということは他人も愛せない、人間を愛せないということにもつながる。

どんな政党が政権の座についても、権力というものを常に厳しく監視し、チェックしなければならない。権力は放っておけば、必ず暴走するし腐敗する。それは我々国民を必ず苦しめる。「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する。」(ジョン・アクトン)

権力の不正、腐敗、堕落、暴走を最先端で追及すべきはマスメディアの役目であるが、マスメディアももはや劣化しきっている。

コロナ禍おいて、この国の政治権力は全く危機に対処でいないことが露呈した。大失敗してもそれを認めないし反省もない。そして、誰も責任を取らない。この国の権力者は国民を守ろうという意識が全くない。日本の権力者の本質は、戦前、戦中、戦後と全く変わっていない。

著名な政治時学者丸山眞男は、日本の権力者を「無責任の体系」と呼び、批判した。

東京五輪の強行は、戦争中のインパール作戦にも、本土決戦にも例えられる。

政権が五輪を強行したいのは、五輪で盛り上げて、政治の不正、腐敗、堕落から国民の目をそらせ、次期衆院選に勝って政権を維持したいだけである。正気の沙汰とは思えない。無謀であり、非科学的であり、状況を冷静に判断できない。

神風頼みの精神論である。犠牲になるのは国民である。

 

                  

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